M-Times 2021.1

正常性バイアス 2021.1

 松田事務所の荒木です。「正常性バイアス」という言葉をご存知でしょうか。ザっと意味を調べてみますと、『社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる』とあります。

 生き残っていくためには、本来は平時と非常時で『判断基準』を変える必要があるのですが、非常時にあっても「普段通り」の行動・生活をしてしまう事を正常性バイアスが働いていると言うようです。

 でも、今が「平時」なのか「非常時」なのかの判断ってどうやってするんでしょうね。例えば、台風や大雨で避難勧告や避難指示が出た際、避難場所である公民館や体育館に避難しようという風にはなかなかなりません(僕の周りだけかもしれませんが・・・)。避難することで生じる「不自由さ」「不便さ」を想像し、「この程度なら非常時と言えへんわ」「きっと今回も大丈夫やろ」といつもなっちゃいます。

 そして、その結果はと言いますと、「いつも通り大丈夫やったなぁ」となっています。こうやって、やっぱり避難しなくて良かったやん、という事を繰り返えすうちに「非常時」を感じ取る感覚が鈍くなってきているのかもしれません。いや、そもそも今まで生きてきて「非常時」という事についてきちんと考えたことすら無かったかもしれません。

 今回、新型コロナウィルスの感染拡大が起こった事で、今が「平時」なのか「非常時」なのか、そして、「非常時」って何なのかを割と真剣に考えてみました。(今頃か~い!ですが・・・)

 そこで思ったのが、「非常時」らしい「非常時」なんてそんなに無いのでは、と。あるとすれば、「非常時」になる可能性が出てきた「平時」なのでは、という事です。例えば、「今年の冬は寒いで~、雪降るで~」と予想されている年の冬に、いつも行っている山の中にある温泉に車で遊びに行くという状況を考えてみます。その山は、いつもなら雪が積もるということも無い山なのですが、今シーズンは「雪降るかもしれへんで~」と言われていますからどうなるか分かりません。そこで一応考えます。スタッドレスタイヤを購入、またはレンタルすべきか・・・でも、買いに行ったり借りに行ったりする時間も無いし、その費用も惜しいとなり、え~い!いつも大丈夫なんだしこのままノーマルタイヤで行っちゃえ~となりがちです。(僕の場合だけかもしれませんが・・・)

 そして温泉をたっぷり堪能し、暗くなってきたからさぁ帰ろうと車に乗り込んだ途端に大雪が降りだす・・・となると完全な「非常時」の到来!です。が、こうなってからでは手遅れです。「非常時」となる可能性が出てきた時点で、「平時」モードから切り替えておく必要があったのです。

 でも、この「非常時」となる可能性が出てきた時点での判断っていうのがまたまた難しい。その事について内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)は言います。

自分が見ているものだけから今何が起きているかを判断しない。自分が現認したものの客観性・一般性を過大評価せず、複数の視点から寄せられる情報を総合して、今起きていることを立体視することである。「主観的願望をもって客観的情勢判断に替える」というのが正常性バイアスの実態である。主観をいったん「かっこに入れて」、複数の視点から対象を観察する知的態度のことを「正常性バイアスの解除」と呼ぶのである。

 つまりは、自分が今まで経験してきた事や、今の自分の周りから得られる情報だけで判断せず、もっと広い視野を持って判断すべきと。しかも、こうであって欲しいという願望をまずは置いておいて・・・と。

 新型コロナウィルス、判断は人それぞれですが、「周りで感染しているやつおらんし」や「自分は感染しーひんし」ではない判断が求められている気がしています。(こんな僕ではありますが・・・)