M-Times 2022.10

母が亡くなって思うこと

 監査部の荒木です。8月5日に母が亡くなりました。突然死でした。今年の1月に心臓の血管に大動脈瘤が見つかり、いつかはこうなると思っていましたが、それはまだまだ先の話で、結局は何も起こらず数年、数十年が経つ、という方の未来を無邪気に信じていました。
 

 と言いながらも、これまでも一人暮らしの母が住む実家を訪ねた際に、「倒れて動けない」母を見つけて救急車を呼ぶというような事はありましたので、母が心臓に爆弾を抱えるようになってからは、今まで以上にマメに実家に顔を出すようにはしていました。

 今思えば、そうすることが自然にできていたのもコロナのおかげだったりします。コロナ前は、バスで通勤していましたが、今は原チャでの通勤・移動としており、その原チャを実家(今住んでいる家から実家までは徒歩3分程)に置いていますから、毎朝出勤前には実家に寄って、母の様子をみてから原チャで出掛ける、という生活を送れていました。

 また、職員同士の接触をできるだけ避けるために、事務所内を原則1組体制としていましたから、事務所が空いてなくて使えない時間帯は、実家で仕事をする、という時間も割とありました(家では子供がいたりで集中できませんので)。
 ですから、コロナ前と比較して実家に立ち寄る機会はかなり増え、更に、母が倒れているのを発見してからは意識的に増やすようにもしていましたので、特にここ数ヶ月間は母と話す時間が結構あったような気がします。

 最近の母は、死を「いつか来るもの」ではなく、「すぐそこにあるもの」と感じていたからか、話の内容も自然と死に関する事になったりしていました。母がしきりに言っていたのは、「自分が介護されるようなことには絶対なりたくない、このまま『ピンピンコロリ』で亡くなるのが一番やわ」という事でした。「今まで散々面倒みてきてもらってるんやし、今度は僕らがみるのは当然なんやで、それが自然なんやし。僕らはそれを迷惑だとか、厄介だとか全然思ってへんから」と言っても、全く聞く耳を持ってくれずで・・・
 

 母が、自分が介護される側に回ることを極端に嫌がるには、母なりの理由がありました。僕の父は、23年前に交通事故に遭い、脳の右半分が損傷した結果、高次脳機能障害という重い障害を持つことになりました。高次脳機能障害といっても人によって程度は様々なのですが、父の場合は、今までの記憶が全てなくなりました。そして、新しくできた記憶もいくつかのものはすぐに消えてしまう、という状態でした。リハビリ施設を数件回った結果、身体的には左手と左目の視野に少し障害が残る程度まで回復しましたが、脳の方はいつまで経っても複雑な事はほぼできなくて、身の回りの事だけは指示されればできる、という状態で家に戻ってきました。そして、そういう、既に父ではなくなった「父」との関係を母は一から手探りで作っていくという生活が始まりました(今思えば、父58歳、母56歳の時だったんですね・・・その若さにビックリ)。

 そんな中で一番の問題は、「父」が感情をセーブする機能を失くしており、「父」の怒声が家中に鳴り響く、ということが日常となっていたことです。何が「父」の機嫌を損ねるのかも分からないまま、ただただ意味不明な言葉で喚かれ続ける・・・その状態の「父」に母が「慣れる」までにどれ程の苦労や葛藤があったのか(実際、「慣れた」と言えるのかは今も分かりませんが・・・)、恐らくとてつもない心労が母の心臓を少しずつ少しずつ蝕んでいったのだと思います。

 そんな「父」が腎臓を悪くし、透析が必要となりました。色々な方の尽力のおかげで透析専門の病院に入院することができ、2年程前からは「父」は入院生活を送っています。そして母は約20年ぶりに「父」の介護から解放されて、人生で初めての一人暮らしが始まりました。好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きな時に好きなものを食べていい、こんな当たり前の自由を76歳になって初めて母は経験しました。

 最近の母は「自分は幸せだ」とずっと言ってました。「あんなに大変な時期を過ごしてきて、今は自由になったんだからもっと幸せになっていいんやで」、と言っても、「これで充分」って。「あんた達がいて、孫がいて、皆で時々集まれて、そしてワイワイできる。この歳になってこんなに楽しい時間ができるなんて、ほんま私はこれで充分」って。

 幸せな時に、自分が一番望んでいた「ピンピンコロリ」で、誰にも迷惑をかけることなく亡くなることができて、母にとってはこれが一番幸せなことだったんだって、思うんですが、

思っているはずなんですが・・・

どうしても頭によぎってしまいます。

今まで苦労してきた分を取り返せるくらいに、もっともっともっと幸せになっても良かったんじゃないかって。

ようやく自由になれて、これからって時なのにって・・・

 

 でもこれって単なる僕の「欲」であって、母はそんなこと望んでないんでしょうね。きっと。そして、これで良かったんだ、って僕が心から思える日もいつか来るんでしょうね。きっと。



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