[NEW!] M-Times 2024.12

シン・松田事務所

 松田事務所の荒木です。10月に亀山が松田事務所の一員として加わり、新しい松田事務所としての体制が出来上がりました。今までの人員でも滞りなく業務をこなすことはできていたのですが、実は、それぞれがフル稼働状態に近い状態で何とかこなしていた、という側面がありました。このままですと誰か一人に何かがあった場合、他の人がフル2(フル×フル)稼働せざるを得なくなる、という恐ろしい事態になることに内心怯えつつも、いやぁでもまぁ今まで誰も大きなケガや病気をせずこれてるし、今後も大丈夫でしょう!という何の根拠も無い甘い考えにすがりながら今まで何とかやってきました。

 それが、ようやく、誰かに何かがあった場合でも、他の誰かがフル2(フル×フル)になる程の負担を強いられることなく業務をこなしていける体制が出来上がったわけです!!! と言ってもすぐにそうなることを望んでいるわけではなく、亀山にはこれからゆっくり時間をかけて松田事務所に馴染んでいってもらったり、仕事を覚えてもらったりしながら、自然とそういう体制になっていけばいいなと思っています。

 これを書いている時点では、まだ亀山が入社してから1ヶ月程しか経っていないので、何処まで彼女のことを分かっているのか(いや、そもそも何年経っていたとしても「分かる」ことなんてありえるのか・・・)全く自信がありませんが、今は、すっごい努力家だなと思って見ています。努力と言っても、それを小さい頃から当たり前のようにやってきているような感じがしますから(あくまでも僕の想像?妄想?ですが)、彼女からしたら全然努力とも思わずやっていることなんでしょうが。

 そもそも、亀山を採用する際の僕の中での決め手の一つとなったものに、コラム『行雲流水』に書いている「野球のフライ」の内容に亀山が共感してくれた、ということがあります。ちなみに、『行雲流水』とは僕が事務所のホームページに時々気の向くままに書いているコラムです。基本的には、割とど~でもいいような内容ばかりなのですが、たまに自分の中の信念的なことも書いている時があって、この「野球のフライ」がまさに“その時”になります。どんな内容だったのか『行雲流水』から転載(一部変更あり)してみます。

 もうかなり昔の記憶すぎて、何に書いてあったのかも分からなくなっていますが、(村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」の中の一場面だったような・・・)そこに出てくる小学生は、友達との遊び(野球)の中で、打ち上げられたフライを取れるかどうかが、「人生のすべて」だった、というような内容がありまして、それを読んだ僕はめちゃめちゃ衝撃を受けました。

 既にオトナになっていた僕からしたら、フライを取れるかどうかは大したことではなくなっていました。取れずに落としたとしても、特に自分の中で何の変化も起きないくらいです。でも、「その子」にとっては、フライが取れるのと、取れずに落としたのでは全く違った未来が訪れる、くらいに大きな変化が起きるのです。そしてそれは、その子にとってはたまたま「野球のフライ」なだけであって、皆それぞれが、それぞれに同じくらいの正念場というか、そのことで未来がゴロっと変わるくらいの「何か」に賭けるトキがあるわけなんです。

 けれど、それは、その人以外から見たらすごくちっぽけなことだったりする、というごくごく当たり前のことなんですけど、その時の僕は、そういうことに無頓着で生きてきてしまっていたこともあり、その言葉が、その場面が、ずっと心に残り続けることになりました。そして、それ以来、その場面を事あるごとに思い出す「僕」になっています。

 たとえ仕事が超繁忙期の時であったとしても、ちょっとした困りごと等の相談のようなものは入ってくるわけですが、そんな時はついつい、「い、いまですか・・・」とか、「そ、それ・・・ですか」とか思ってしまう自分がいて(ほんま小さい人間やなぁって書いてて思いました・・・とほほ)、その時にこの場面が浮かぶわけです。そして、「あかんあかん、人生かかってはるかもしれんやん!」と思い直して真剣に耳を傾けることにしています。そしていつかは、いついかなる時でも、「い、いまですか・・・」や「そ、それ・・・ですか」すら一切思わずに即座に応じられるようになりたいな、と思います!

 という内容になります。そして、このことに共感してくれて、「些細なことにも誠実である税理士」を目指していきたい、と面接時の作文に書いてくれたわけです。亀山は、今までの人生の中で培ってきたものだけでも既にキラキラしているのに(これも僕の勝手な想像?妄想?)さらにプラスして「些細なことにも誠実である税理士」になったとしたら、そりゃもう僕的には最高にうほほ~いです