M-Times 2024.5

復帰のご挨拶

大変ご無沙汰しております。監査部の大石千香子です。
長い間、出産・育児休暇をいただいておりましたが、4月2日より職場復帰いたしました。
当分の間、在宅で内勤させていただくことになります。
子育てをしながらの勤務となるため、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、精一杯取り組んでいきますので、よろしくお願い申し上げます。
エムタイムズでのご報告となってしまい大変恐縮ですが、まずは職場復帰のご挨拶を申し上げます。

1年を振り返って(産休期間編)

 改めまして、監査部の大石です。前段で、ご挨拶をさせていただきましたが、昨年に『4月1日から産休に入ります。』と、エムタイムズでご報告して、ほぼ1年後の復帰となりました。図らずも年度単位となり、すっきりとした気持ちで仕事を始められました。
 さて、復帰後初めてのエムタイムズで何を書こうかと考えていたのですが、お休みをいただいていた1年を振り返ってみようと思います。この期間を、産休期間(令和5年4月~5月)と、育休期間(令和5年6月~令和6年3月)に分けてみました。今回は、産休期間編にて、お付き合いいただければと思います。
 産休のご挨拶で、出産予定日は4月中頃と書いておりましたが、実際は10日ほど早まりました。里帰り出産のため、京都の実家で過ごしていた3月31日早朝、体調の異変に気付き、産院に行くと破水していることがわかり、そのまま入院することに。痛みがないのにもかかわらず、破水の事実にドキドキしていると、先生から「破水しているので、(陣痛促進剤等を使って)いつでも産めますよ。」と、言われ、いつでもって・・・、しかも、産むタイミングをこっちで決められるの・・・?と、軽く衝撃を受けました。と、同時に、出産予定日は過ぎるだろうなと、勝手に思っていたので、早生まれとなる心づもりを全くしていなかったが故の妙な焦りと、さらに、出産育児一時金が42万円になるやん!(令和5年3月31日までは42万円、4月以降は50万円になりました。)と、いう切実な焦りも加わり、心の中はプチパニックでした。それから、先生の細かい説明と雑談をしているうちに、ちょっと落ち着きを取り戻し、焦ったところで産まれるときは産まれるかと、流れに身を任せることにしました。
 そこから3日間、3食おやつ付きの優雅な入院生活を送っていたのですが、4月2日に先生から「これ以上長引くなら、明日、促進剤を使おうか。」と、いう話があり、お腹の中で聞こえていたのか、その夜、自然と陣痛が・・・。彦根から夫にも来てもらい、立ち合いのもと4月3日に無事、女の子を出産しました。
 
ちなみに、まだこの時点では、新型コロナは5類感染症移行前でしたが、ワクチン接種を条件に、出産の立ち合いは可能となっていました。ただ、長く滞在することはできず、その日のうちに夫は彦根に帰りました。コロナ対策で、立ち合い以外、入院中は家族と面会できず、洗濯物などの荷物は看護師さんを介してのやり取りとなっていました。おまけに、たまたまなのでしょうが、私が入院している間、新たに入院してくる方が全くいなかったのです。助産師さんや看護師さんは常駐しておられるので、コールすれば来てくれますが、病棟のフロアに一人で入院しているのは静かすぎて、少し寂しく感じました。とはいえ、逆にいうと、貸し切り状態なので、設備は自分のペースで自由に利用できましたし、気を遣わずにゆっくりできたのでイーブンでしょうか。
 出産から5日後、4月8日に子供と一緒に退院しました。外に出ると、桜はもう葉桜になっていました。「来年は、一緒に桜を見に行こうね。」と、子供に話かけながら、実家に戻りました。そこから2ヶ月間、実家で家族の助けを受けながら過ごしました。結婚前まで実家で暮らしていたときも思いましたが、この間も本当に家族の、特に母親の有難みが身に沁みました。
 その実家生活もあっという間に過ぎ、6月の初め彦根に帰りました。本当は3ヶ月くらいゆっくりしたかったのですが、なんと生後2ヶ月から予防接種が待っていたのです。(私も案内が来るまで全く知りませんでした。)と、いうわけで、次回、予防接種の話も含め育休期間編を書いていきたいと思います。